1995年の阪神・淡路大震災から17日で29年を迎えた。今も、震災で犠牲になった娘と心の中で対話を続ける男性がいる。次女の樹里さん(当時18)を亡くした田中武雄さん(75)=神戸市東灘区=が、あの日からの29年間を語った。 ◇ コーヒーの好きな子やった。いまでも毎朝、コーヒー入れて、仏壇...
「助けられんで、ごめんやで」 大震災で18歳の娘亡くした父語る 写真・図版 5 / 5 前の写真 次の写真 阪神・淡路大震災では多くの建物が倒壊した=1995年1月18日、神戸市東灘区、朝日新聞社ヘリから この写真の記事を見る 無断転載・複製を禁じます...
震災などで破壊される以前の風景が、映画の中に残っていることがある。自らも被災した1995年の阪神・淡路大震災と、今年1月の能登半島地震が起きる前に、それぞれの土地で映画を撮影した映画監督がいる。「フィリピンパブ嬢の社会学」が今月17日から東京で公開される白羽弥仁監督に、映画に撮るこ...
連日のように午前3時ごろまでスペイン語と英語を勉強。体が弱い母のマッサージも日課だった。 春からの就職先も内定。ある日、知人宅に一通の手紙が届いた。差出人は恵子さんで、消印は亡くなった日。 「仕事は4月か6月から始まります。どうなることやら……」。社会人生活を目前に控えていた。
神戸市兵庫区でクリーニング店を営んでいた松浦潔さんは、長男の誠さん(当時16)と、誠さんの中学時代の英語教員で自宅にホームステイしていたオーストラリア人のスコット・ネスさん(同24)を亡くした。 1995年1月17日早朝、松浦さんの3階建ての自宅が激震で全壊した。
この拍手をずっと忘れないでいよう。 1995年3月31日。タカラジェンヌとして初めて宝塚大劇場の舞台に立った日。 のちに宙組トップスターになる大和悠河(やまと・ゆうが)さんが見た光景は、その後の舞台…
暗闇で途絶えた泣き声、21歳で逝った娘 29年抱える父の後悔 「おもろい3兄弟」未来奪われた朝 後悔しているから…語り続ける兄 タイムカプセルに大震災の思い託す 「感謝とイノチ」「誰かの側に」 戸田奈津子さん英語力の原点 50回見たあの映画のセリフにひかれて 「俺の人生、終わった」 ...
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それでも映画は残る 阪神と能登、震災前を撮った映画監督が思うこと 写真・図版 映画「She’s Rain」の一場面から=白羽弥仁さん提供 この写真の記事を見る 無断転載・複製を禁じます 関連ニュース ステレオタイプ超えた純愛 新書「フィリピンパブ嬢の社会学」映画に 戸田奈津子さん英語力の原...