1995年の春、阪神・淡路大震災の少し後、一本の記事を書いた。自らも被災し、悲惨な目に遭いながら、復旧の仕事に力を尽くす人たちのことを伝える記事だ。どうしてこの人たちはこんなに頑張れるのだろう。20代の記者だった私は、不思議に思って取材した▼ 鮫島真人さんは大阪ガスの技術職で...
大阪の「太閤園」跡地でくい打ち機横転、道路ふさぐ 男性1人けが デーブ・スペクターさんが比べた 米大統領選の恥、変な日本の総選挙 孤独死した父の死亡届、娘の名前で無断提出 行政は「適切な対応」 ソフトバンクの和田毅が引退へ 43歳、「松坂世代」最後の現役選手 羽ばたく鳥が監視ドローン...
1時間前 本拠地・大阪の地盤揺らぐ維新 府内で「全勝」も募る強い危機感【詳報】一力挑戦者が初の名人位獲得 「思い入れのある二文字」 ビジネススタイル意識調査 スキンケアをする理由は? 飛鳥Ⅱで味わう秋の味覚と名月 鳥羽・高松クルーズ 「文明の分岐点」に立つ私たち 気候学者が説く、化...
2年前から大阪で働き始めて驚いたのは、学生が阪神・淡路大震災の知識に乏しいことだ。震災から29年の先月17日、震災のドキュメンタリーを制作しているゼミ生と一緒に神戸市・東遊園地の追悼式典に参加した。そこで目に留まったが、震災で亡くなった5千人以上の名前が刻まれたモニュメント。
この行事は、大阪で暮らしていた大学時代に阪神・淡路大震災を経験し、兵庫県芦屋市でボランティア活動をした出雲市斐川町の写真家、高嶋敏展さん(51)が毎年企画している。災害とその犠牲者を節目の日に思い出し、災害に備えることが必要ではないかと考えるためだ。「(大災害の)記憶の風化が加...
1995年の春、阪神・淡路大震災の少し後、一本の記事を書いた。自らも被災し、悲惨な目に遭いながら、復旧の仕事に力を尽くす人たちのことを伝える記事だ。どうしてこの人たちはこんなに頑張れるのだろう。20代の記者だった私は、不思議に思って取材した▼鮫島真人さんは大阪ガスの技術職で、...
一刻も早くはなれるほうが安全だと判断し、乗客には先に大阪方面の道路上の非常階段からにげるよううながしました。 同じ階段から地上に出た安井さん。コンビニに残っていたカステラとコーヒーを買って空腹を満たしました。あたりはガスのにおいがしていました。 その後、使い捨てカメラを手...
大阪社会部 フォロー 専門・関心分野 社会保障、人権、精神疾患、原爆 1.17 再現/阪神・淡路大震災 あの日、何が起こったのか。阪神・淡路大震災を映像や音声でお伝えします。[もっと見る] ニュース写真・動画の受付窓口 朝日新聞映像報道部宛:photo@asahi.com ...
宝塚音楽学校81期生の文化祭が開かれたのは、阪神大震災から1カ月後の1995年2月18、19日だった。 音楽学校卒業、そして歌劇団入団を間近に控えた生徒たちによる卒業公演だ。例年なら、宝塚大劇場隣の宝塚バウホールで開かれるが、大震災でともに被災。会場は、大阪の梅田芸術劇場シアター・ドラ...
山下規子(のりこ)さん(48、当時19)は、にぎやかな3姉妹の長女だった。 二つ下の妹は高校2年の美紀さん(当時17)。人の悪口を言わず、友達がたくさんいた。 末っ子の由佳さん(当時15)は中学3年…