岩手県立高田高校水泳部は、所属する部員7人と顧問1人が津波の犠牲になりました。犠牲者への黙禱を続けながら再起を誓ったこの13年を追いました。 移住者たち 福島第一原発の町で 東京電力福島第一原発の事故で、周辺の多くの住民は避難を余儀なくされました。今も故郷に帰れない人々が多い中...
(東日本大震災11年)避難を考える:上 「津波が来る」迷いとためらい 1月のトンガ大規模噴火から 東日本大震災から11日で11年。いざというときに命が助かる対策は十分にできているのか、1月に南太平洋のトンガ諸島で発生した海底噴火で、日本でも津波警報や注意報が出た事例から考えた。 ■「注意...
震災の風化を防ぐため南相馬市が2022年に設置した東日本大震災伝承板。北萱浜地区の慰霊碑も付近にある=福島県南相馬市 この写真の記事を見る 無断転載・複製を禁じます その他の特集面掲載記事 (災間に生きて)津波避難の「明暗」、背負って 親族が犠牲、語り部に 東日本大震災14年目 (レンズ...
悲鳴と怒号の中、裏山に続く坂を駆け上がる児童や住民に、背後から津波が迫る。東日本大震災の当時、岩手県大槌町立赤浜小学校の副校長だった岩切博文さん(70)が避難しながら撮影した動画には、ハアハアという自身の息づかいとともに、生死を分けた瞬間が記録されている。「気が付けば、私、児童...
(災間に生きて)津波避難の「明暗」、背負って 親族が犠牲、語り部に 東日本大震災14年目 逃げられた人、逃げられなかった人。身近な人たちの明暗を背負い、あの日の教訓を伝え続ける語り部がいる。 13年前の3月11日午後、福島県の沿岸部、南相馬市の高田求幸さん(86)は市の中心部にある駅前...
震災直後の上空から写真を見ると、中央の貞山(ていざん)堀(貞山運河)を越えて津波が内陸部まで到達し、土台を残して住宅が流されている。 写真の右端に見える荒浜小学校は海岸から約700メートル。震災当日は児童・教職員や住民320人が屋上に避難し、命をとりとめた。
東日本大震災の津波で甚大な被害に遭った宮城県石巻市の渡波(わたのは)地区に、野外音楽堂が完成した。大阪府の木材会社が、津波で子どもを亡くした木工作家の協力を得て建てた。「悲しいことがあった場所だが、…
(災間に生きて)迫る津波、生死分けた瞬間 小学校副校長、避難しながら動画撮影 東日本大震災14年目 写真・図版 4 / 4 前の写真 次の写真 この写真の記事を見る 無断転載・複製を禁じます その他の特集面掲載記事 (災間に生きて)迫る津波、生死分けた瞬間 小学校副校長、避難しながら動画撮影 ...
1月下旬、能登半島地震の被災地を訪ねました。復旧・復興に東日本大震災以上に苦慮するのは確実です。三陸は津波の被害は甚大でしたが、内陸と沿岸を結ぶ道路の被害は比較的小さく、早期に確保されました。能登は道路が寸断され、物資支援や応急復旧に行く車だけで渋滞しています。
浜岡原発へ10年ぶりに燃料 中部電「燃料会社の要請」 3m超す津波、広範囲で非常に高い確率 南海トラフ予測 (科学の扉)津波、早く正確な予測へ 水圧・海面観測しリアルタイムで/精度が課題 原発事故の広域避難計画、難航 コロナで見直しも ...