朝日新聞デジタル 東日本大震災の津波被害を乗り越え 請戸復興へ、浜まつりと上映会 写真・図版 2 / 3 前の写真 次の写真 震災前、多くの人たちでにぎわった請戸海水浴場=2007年8月、浪江町提供 この写真の記事を見る 無断転載・複製を禁じます...
東日本大震災による津波は、被災地沿岸の地上だけでなく、海の中も一変させた。漂うがれき、失われた漁場……。そんな状況はこの10年でどう変わったのか。潜水取材を続けてきた朝日新聞のフォトグラファーたちの報告です。 東日本大震災を語る 東日本大震災から3月11日で10年となります。被災...
復旧・復興に東日本大震災以上に苦慮するのは確実です。三陸は津波の被害は甚大でしたが、内陸と沿岸を結ぶ道路の被害は比較的小さく、早期に確保されました。能登は道路が寸断され、物資支援や応急復旧に行く車だけで渋滞しています。 ボランティアは必要で、多数登録していますが、交通事情が悪く...
その他の特集面掲載記事 (災間に生きて)津波避難の「明暗」、背負って 親族が犠牲、語り部に 東日本大震災14年目 (レンズの記憶)旧警戒区域の校庭、戻った笑顔 東日本大震災14年目 <お知らせ>震災救援事業などにご協力をこんな特集も 注目ニュースが1分でわかるニュースの要点へ 9月27日 (金)...
誰が「当事者」なのか――。東北に甚大な被害が集中した一方、日本社会全体を揺さぶった東日本大震災は、この問いを私たちにかつてなく突きつけました。被災地の内や外で問いに向き合ってきた若者たちは、10年経ったいま、何を思うのでしょうか。
中学生の時に震災を経験した福島県の男性は「津波や原発の直接的影響はなく、当時はちゃんと考えられるほど成熟しておらず、自分は当事者ではないと感じる。でも、福島の人間という気持ちもあり、結局自分がなにか分からない」と語った。 また、宮城県山元町で被災し、物資を独占する人や、窃盗の...
津波被害からの市街地復興事業 この写真の記事を見る無断転載・複製を禁じます その他の総合3面掲載記事 (東日本大震災12年3・11の現在地)はまる「差し込み型」移転 高台の集落の空き地に住宅再建 ベラルーシに戦術核「合意」 米欧側を牽制 プーチン氏表明 韓国版ふるさと納税、スタート 地...
岩手県山田町では、津波と火災で住宅の4割以上が全半壊し、死者・行方不明者は800人を超えました。震災後は高さ9・7メートルの防潮堤が完成、被害を受けた地域はかさ上げが行われました。 原発事故からの13年 福島の2011年と現在を写真で比較 宮城上空から見た震災からの「復興」 2011年と現在を...
震災の記憶と教訓を伝える「みやぎ東日本大震災津波伝承館」=宮城県石巻市南浜町=が開館3周年を迎えた。通常の展示に加えて、災害時のボランティアに焦点を当てた企画展が開かれている。同館の解説員で最年少の…
【こどもと被災地】母を亡くした16歳、友達のような新しいママと 【こどもと被災地】写真でしか知らないけど、大丈夫だよ お父さん 「いい子でいなくていいよ」 原発事故で転校した私、能登で先生に 「責任はとる、行って!」 子ども54人守った保育所長 園児9人を津波で失った園長、悔やみ...