誓いが刻まれた水俣病慰霊の碑=2021年9月2日、熊本県水俣市 かつてメチル水銀を含む排水が流された百間排水口=2021年9月1日、熊本県水俣市 苦い経験があるからだ。修学旅行へ行った関西の土産物店で、どこから来たのか問われ、勇気を振り絞った。「水俣です」。すると露骨に嫌な顔をされた。
塩田さんが出した写真集「僕が写した愛しい水俣」(岩波書店)や「水俣な人 水俣病を支援した人びとの軌跡」(未来社)には載っていない写真だ。 ユージンは1971年9月、結婚したばかりのアイリーン・美緒子・スミスさん(71)と熊本県水俣市の駅に降り立った。当時は、患者家族が原因企業チッソ(東京)...
71年10月にスミスが原因企業チッソの水俣工場を取材しているシーンをとらえている。アシスタントになって初めて立ち会った現場だったが、寒風の中で撮り続けるスミスは自信にあふれ、頼もしく見えたという。以来3年にわたりスミスの撮影や暗室作業を支えた石川さんは振り返る。 (フォトギャラ...
この時の後遺症で右目は失明寸前になり、治療のため帰米した後、水俣に戻り撮影を続けた。当初数カ月の予定だった水俣滞在は74年まで3年に及んだ。 75年にアイリーンさんと2人で出した写真集「MINAMATA」の序文に記した。 私たちが水俣で発見したのは勇気と不屈であった……この本を通じて...
大学生で通訳をしていたアイリーン・美緒子・スミスさん(71)と70年に出会い、ニューヨークの仕事場を訪れた日本人男性から水俣で工場廃水によって多くの被害者が出ていることを知った。71年の来日前、朝日新聞の取材に決意を語っている。 「水俣の悲惨もまだよくわか…こ...
MINAMATA、18歳の声なき声 ユージン・スミスは涙を流した 「猫てんかんで全滅」水俣で最初に現れた異変、人間への警告だった 貧しい「周縁」で起きた未曽有の公害 同じことは東京湾で起きえたか こんな特集も注目ニュースが1分でわかるニュースの要点へ 1月8日 (水) 日鉄、米大統領らを提...
朝日新聞デジタル MINAMATA、18歳の声なき声 ユージン・スミスは涙を流した 写真・図版 2 / 7 前の写真 次の写真 自宅で過ごす田中実子さん=2021年9月11日午後1時19分、熊本県水俣市月浦、田中久稔撮影 この写真の記事を見る 無断転載・複製を禁じます...
畏敬の念と、嫉妬と 水俣撮ったユージン・スミス、案内した写真家 写真・図版 ニュース写真・動画の受付窓口 朝日新聞映像報道部宛:photo@asahi.com メール送信に際しては、連絡先の住所・電話番号を明記ください。 全日本写真連盟 朝日新聞社が後援する写真愛好家の全国組織です。
今から50年前に焼かれた一枚のコンタクトプリント。写っているのは、数々の優れたドキュメンタリー作品を残した米国人写真家、ユージン・スミス(1918~78)の姿だ。71年から3年間、熊本県水俣市に滞在して取材を続け、水俣病の現実を世界に伝えたことでも知られる。 撮影したのは当時、スミス...