水俣病の真実をカメラで追った世界的な写真家ユージン・スミス。作品写真をもとに、公害病の歴史と患者の今に光を当てます。朝日新聞デジタルのプレミアムA「MINAMATA ユージン・スミスの伝言」です。
塩田さんが出した写真集「僕が写した愛しい水俣」(岩波書店)や「水俣な人 水俣病を支援した人びとの軌跡」(未来社)には載っていない写真だ。 ユージンは1971年9月、結婚したばかりのアイリーン・美緒子・スミスさん(71)と熊本県水俣市の駅に降り立った。当時は、患者家族が原因企業チッソ(東京)...
水俣病患者を撮った。 患者家族が原因企業チッソ(東京)の責任を問い、初めて起こした水俣病第1次訴訟(69~73年)のただ中。ユージンは結婚したばかりのアイリーン・美緒子・スミスさん(71)と共に原告家族を訪ね歩いた。その一人が田中さんだった。日本生まれのアイリーンさんは、日本語が話せ...
水俣病の実態を世界に伝えた写真家ユージン・スミスの抱擁を受けたと日記に記したのは、原因企業チッソとの自主交渉の先頭に立ち、「闘士」と呼ばれた患者の故・川本輝夫さん。日付は1972(昭和47)年1月7日。2人が千葉県のチッソ石油化学五井工場で従業員から暴行を受け、傷だらけになった日だ...
写っているのは、米雑誌「ライフ」などで活躍し、数々の優れたドキュメンタリー作品を残した米国人写真家、ユージン・スミス(1918~78)の姿だ。71年から74年まで、当時の妻、アイリーン・美緒子・スミスとともに熊本県水俣市に滞在。水俣病に苦しむ人々の姿をカメラに収め、患者や家族の...
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母のおなかで水俣病に 憎しみが「生まれてよかった」に変わるまで 傷だらけで、感激の抱擁を受けた ユージン・スミスは「やさしか人」 怖かった、でも前へ歩き続けた 抗う心は水俣病もおさえつけられない MINAMATA、18歳の声なき声 ユージン・スミスは涙を流した 「猫てんかんで全滅」...
今から50年前に焼かれた一枚のコンタクトプリント。写っているのは、数々の優れたドキュメンタリー作品を残した米国人写真家、ユージン・スミス(1918~78)の姿だ。71年から3年間、熊本県水俣市に滞在して取材を続け、水俣病の現実を世界に伝えたことでも知られる。 撮影したのは当時、スミス...
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