我們無法洞觀世事,但藉由法師的智慧,我們依然可以在生活上找尋一方淨土,一抹清涼。 本《徒然草》版本是據1892年圖書出版會社出版《標注段解徒然草》為底本,參考岩波文庫1985年版《新訂徒然草》... (展开全部) 徒然草的创作者· ··· 吉田兼好作者 作者...
その子?孫までは、はふれにたれど、なほなまめかし。それより下つ方は、ほどにつけつつ、時に逢ひ、したり顔なるも、みづからはいみじと思ふらめど、いと口惜(くちお)し。 法師ばかり羨しからぬものはあらじ。「人には木の端のやうに思はるるよ」と清少納言が書けるも、げにさることぞか...
其の子孫までは、はふれにたれど、なほなまめかし。それよりしもつかたは、ほどにつけつゝ、時にあひ、したりがほなるも、みづからはいみじと思ふらめど、いとくちをし。 法師ばかりうらやましからぬものはあらじ、「人には木の端のやうに思はるゝよ」と清少納言がかけるも、げにさること...
筑紫に、なにがしの押領使などいふやうなる者のありけるが:九州の押領司、「押領司<おうりょうし>」は、兵を率いて反乱を鎮圧する役目の律令に記載されない「役人?」。筑紫は筑前と筑後を言うので、九州全部を指す。 土大根を万にいみじき薬とて:<つちおおね>、大根のこと。今では、大根脚...
法師ばかり羨しからぬものはあらじ。「人には木の端のやうに思はるるよ」と清少納言が書けるも、げにさることぞかし。勢猛(いきおいもう)に、のゝしりたるにつけて、いみじとは見えず。増賀聖(ぞうがひじり)のいひけんやうに、名聞くるしく、佛の御教(みおしえ)に違ふらむとぞ覚(おぼ...
法師ばかり羨しからぬものはあらじ。「人には木の端のやうに思はるるよ」と清少納言が書けるも、げにさることぞかし。勢猛(いきおいもう)に、のゝしりたるにつけて、いみじとは見えず。増賀聖(ぞうがひじり)のいひけんやうに、名聞くるしく、佛の御教(みおしえ)に違ふらむとぞ覚(おぼ...
法師ばかり羨しからぬものはあらじ。「人には木の端のやうに思はるるよ」と清少納言が書けるも、げにさることぞかし。勢猛(いきおいもう)に、のゝしりたるにつけて、いみじとは見えず。増賀聖(ぞうがひじり)のいひけんやうに、名聞くるしく、佛の御教(みおしえ)に違ふらむとぞ覚(おぼ...
法師は、兵の道を立て:僧侶はといえば、仏法よりも武道などに興味を持ち。叡山の僧侶などを引用か? 夷は、弓ひく術知らず、仏法知りたる気色し、連歌し、管絃を嗜み合へり:「戎」は関東の武士。荒々しいことで有名だった関東武士は弓馬の術を知らず、仏道をよく知っている様子をし、連歌に...
は、鎌倉時代から南北朝時代の随筆家・歌人である。本名は卜部兼好(うらべ かねよし/うらべ・の・かねよし)。兼好法師(けんこうほうし)とも呼ばれる。吉田神社に関係があったことから吉田兼好と通称されることが多いが、地名を用いた呼び名のため嫌う学者もいる。没年には文和元年/正平7...
奥山に、猫またといふものありて、人を食らふなる。と人の言ひけるに、山ならねども、これらにも、猫の經上りて、猫またに成りて、人とる事はあなるものを。 と言ふ者ありけるを、何阿彌陀佛とかや、連歌しける法