その子?孫までは、はふれにたれど、なほなまめかし。それより下つ方は、ほどにつけつつ、時に逢ひ、したり顔なるも、みづからはいみじと思ふらめど、いと口惜(くちお)し。 法師ばかり羨しからぬものはあらじ。「人には木の端のやうに思はるるよ」と清少納言が書けるも、げにさることぞか...
舜(しゅん) :中国古代の聖帝。「鶏鳴ニシテ起キ、孳(じ)々トシテ善ヲ為ス者ハ、舜ノ徒ナリ」と『孟子』にある。 惟継中納言は、風月の才に富める人なり。一生精進焼かれし時、坊主にあひて、「御坊をば寺法師とこそ申しつれど、寺はなければ、今よりは法師とこそ申さめ」と言はれ...
一の人の御有様はさらなり、ただ人も、舎人(とねり)などたまはる際(きわ)は、ゆゆしと見ゆ。その子?孫までは、はふれにたれど、なほなまめかし。それより下つ方は、ほどにつけつつ、時に逢ひ、したり顔なるも、みづからはいみじと思ふらめど、いと口惜(くちお)し。 法師ばかり羨しから...
その子?孫までは、はふれにたれど、なほなまめかし。それより下つ方は、ほどにつけつつ、時に逢ひ、したり顔なるも、みづからはいみじと思ふらめど、いと口惜(くちお)し。 法師ばかり羨しからぬものはあらじ。「人には木の端のやうに思はるるよ」と清少納言が書けるも、げにさることぞか...
法師ばかり羨しからぬものはあらじ。「人には木の端のやうに思はるるよ」と清少納言が書けるも、げにさることぞかし。勢猛(いきおいもう)に、のゝしりたるにつけて、いみじとは見えず。増賀聖(ぞうがひじり)のいひけんやうに、名聞くるしく、佛の御教(みおしえ)に違ふらむとぞ覚(おぼ...
『兼好法师法師集』也里面收录了兼好法师的285 首和歌作品,兼好法师写就《徒 然草》,采用的是和汉混交文体,在书中他丰富的文学素养得到了很好的体现。 不仅在和歌的创作上造诣很深,他熟知朝廷的礼仪和制度,对于很多政事也都有 着自己的见解和主张,在当时很有威望,官至左兵卫佐。
法師ばかりうらやましからぬものはあらじ。「人には木の端のやうに思はるゝよ」と清少納言が書けるも、げにさることぞかし。勢まうに、のゝしりたるにつけて、いみじとは見えず、増賀聖の言ひけんやうに、名聞ぐるしく、仏の御教にたがふらんとぞ覚ゆる。ひたふるの世捨人は、なかなかあ...
徒然草 第146段 明雲座主、相者にあひ給ひて、・吉田兼好 日文念书蜈蚣哥编辑于 2023年12月04日 00:02 明雲座主:<めいうんざす>。55代および57代の天台座主。高僧の評価が残る。 相者にあひ給ひて:<そうじゃ>。人相見に会って。 己れ、もし兵杖の難やある:<おのれ、ひょうじょうのなんや...
奥山に、猫またといふものありて、人を食らふなる。と人の言ひけるに、山ならねども、これらにも、猫の經上りて、猫またに成りて、人とる事はあなるものを。 と言ふ者ありけるを、何阿彌陀佛とかや、連歌しける法
遁世者?歌人?随筆家。治部 少輔卜部兼顕の子。本名は卜部兼好(うらべ かねよし/ うらべ の かねよし)。 ? 卜部氏の嫡流は後の時代に吉田家、平野家などに分かれ、 江戸時代以降は吉田兼好と通称されるようになった。ま た出家したことから兼好法師(けんこうほうし)とも呼 ばれ、中学校...