2024-05-15 08:16:32 上海 メースBやオネスト・ジョンといえば、かつて沖縄に米軍が備えていたミサイルの名前だ。復帰前に作られた巨大な発射台の遺構を見たことがある。分厚いコンクリートの発射口は、対中国として北西に向けられていた▼ そうやってミサイルと背中あわせに暮らす者...
「日本復帰に賛成か反対か」45分の特設授業、先生と生徒の50年後 沖縄の本土復帰から50年 福井の沖縄出身者に聞く こんな特集も注目ニュースが1分でわかるニュースの要点へ 11月22日 (金) グーグルにクローム売却要求 自民 企業献金禁止は盛らず 新NISA開設数、伸び悩む 11月21日 (木) 「103...
「ふっきしても」「アメリカ軍はでていかない」「きちはそのまま残る」と黒板に書かれている=1972年5月15日 [PR] 1972年5月15日。降り続く雨の中、沖縄は、本土復帰の日を迎えました。 「街は静かで、人通りも少なかった。当初あった復帰歓迎の熱気は失われていた。米軍基地が残るこ...
復帰の日について話す石川文洋さん=2022年4月27日午後4時5分、諏訪市の自宅、吉田耕一郎撮影 この写真の記事を見る 無断転載・複製を禁じます 関連ニュース 僕は沖縄をどれだけ知っているんだろう ジョン・カビラさんの50年 沖縄の歓楽街、少女4人は何を見たのか 50年後に記者が探した名...
ベトナム戦争への従軍取材の経験もある報道写真家の石川文洋(ぶんよう)さん(84)は、1972年5月15日、復帰を果たした沖縄の当日を撮影して回った。その日の様子を「静寂」だったと振り返る。 石川さんは那覇市首里の出身。祖母は沖縄戦を生き延びたが、祖父は戦死した。自身は4歳だった1942年に...