国内審査を経て、被爆80年となる2025年の登録を目指す。被爆直後の街で、カメラマンたちは何を目にしたのか。 原爆投下の3日後の1945年8月9日。朝日新聞大阪本社の写真部員宮武甫(はじめ)さん=故人=は広島駅に降り立った。当時31歳。中部軍管区司令部(大阪市)の命令で、「宣伝工作」の写真を撮...
広島平和記念資料館で常設展示されている写真パネル「火傷(やけど)の手当てを受ける少年」に写った少年。その遺族が資料館に名乗り出たのをきっかけに、撮影から78年を経て身元がわかった。遺族が保管していた写真をもとに画像を解析した鑑定結果や、写真と同じ部位にやけどを負ったことを示す文書など...
「手当てを受ける少年」の写真は原爆投下から4日後の1945年8月10日、広島赤十字病院(現広島赤十字・原爆病院)で朝日新聞の写真記者だった宮武甫(はじめ)さん(85年死去)が撮影した。 壊滅的な被害を受けた街の様子を記録するため、陸軍が大阪で編成した宣伝工作隊の一員として前日の9日に広島に...