院政(いんせい)を初めて行った天皇白河天皇 (しらかわてんのう)白河上皇 (しらかわじょうこう)白河法皇(しらかわほうお
ついで元永二年(一一一九)鳥羽天皇の第一皇子顕仁親王が生まれると、上皇はやがてこの曾孫の皇子を皇位につけた。崇徳天皇である。一方、保安元年(一一二〇)関白藤原忠実が上皇の怒に触れて失脚すると、摂関の勢威はいちだんと低落した。こうして上皇は院中にあって政治の実権をにぎり、後世から院政...
后白河法皇是日本院政时代最后一个握有实际政治权利的法皇,治世长达三十七年,日本古典名著《平家物语》就是讲述他当法皇时期的故事,他以名声、官位为诱饵,不断挑动淳朴的武士自相残杀,他稳坐中心以渔利,源为朝、木曾义仲、源义经和平氏一族都是这样被他毁掉的。源赖朝背后骂他是“日本第一号大天狗”。他...