きっかけは私立東邦高校生徒会が2014年に市に平和の日制定を働きかけたこと。前身の商業学校の生徒・職員が軍需工場への動員中に空襲で死亡し、東邦高は慰霊行事を続けてきた。ただ同市の空襲は63回にのぼり、日の選定をめぐり市や議会で議論が一時停滞したことも。後輩たちが粘り強く運動を続けてきた...