浄土真宗の流れをくむ本願寺派や真宗大谷派らが参加する真宗十派の解釈では、自らの善なる行いを救いに役立てようとする行為を「雑行」、またお経を読んだり供養したり、本尊に祈ることで助けを求める行為を「雑修」と呼んでおり、いずれも自力の心で行うことを捨てるべきだと考えています。