後嵯峨(ごさが)天皇の皇子。母は平棟子。初の皇族将軍。中書王とよばれた。文永3年謀反の疑いで京都に追放され,9年出家。鎌倉歌壇の中心的存在で,生涯に三千余首を作歌,勅撰集には「続古今和歌集」以下に190首はいっている。文永11年8月1日死去。33歳。家集に「瓊玉(けいぎょく)和歌集」など。